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タイトルからして、じいが散歩する話だと推測されるのに、なぜこんなに人気なのか。ちょっと気になっていたので、早々に手にすることができて嬉しい。ほくほくと読み始めました。
じいの名前は明石新平。89歳(本書の終わりには94歳になる)。毎朝自己流の健康体操をし、自己流の健康朝食を食べ、新聞を読み、植物の手入れをして、散歩に出かける。散歩の先々でおいしいものを食べたり、甘いものを買ったり、かなりの健啖家である。そして、所有する賃貸アパートの一室の事務所に立ち寄る毎日。この事務所は新平の大事なエロコレクションもある落ち着く場所である。
そんな現在の新平の散歩の合間合間に、これまでの新平の人生が、階段をポンポンポンと軽快に上っていくように描かれる。妻英子との出会い、戦争、会社を起こしたこと、子どもの誕生、浮ついた話・・・これまでの新平の人生は、物心がつく頃にはバブルがはじけて、経済が低調な時代ばかりを過ごしてきた身としては(というか経済的な格差なのか)、なんというか、羽振りが良くみえた。豪勢だなー、景気がいいなー、と。
毎日散歩をしながら好きなものを食べ、好きなところへ行く元気な新平だが、いろいろと抱えているものは、ある。認知症が疑われる妻、引きこもりの長男、自称長女の次男、借金を抱えて実家に戻ってきた三男。ちなみにこの団子三兄弟はみな、独身。こう字面にすると悲観的に思えるのだが、それはそれとして、新平は今日も歩く。若い女の子に声をかけ、興味のあるところには臆せず足を踏み入れ・・・
理想的なご隠居生活に見えるようで、そうでもないような。しかし当の新平はそんなこと気にせず、昔のことも気にせず、なんでも「かっ」と笑い飛ばして、散歩を楽しむ。うん、それでいいじゃないか、そう思わせてくれるお話でした。
「八十九歳ともなると、実際そこに人がいるのもいないのも、思い出しているのも、妄想も幽霊も、なつかしければそれでいい。すべてが誤差の範囲のようにも思えて不思議だった。」と新平は思う。その歳までいくとこういった境地に達するのか、なるほど、参考に覚えておこう。ただし、妻英子にとって「されたこと」はそう簡単には流せないようではある。やはりそうだよね、とも思う。
新平のようなタイプの男性が周りにいないので、典型的な、というかそれよりもっとこう「昭和の父親」、「昔の男性」を見た気がして新鮮でした。人生山あり谷あり、それでも「今・現在」を楽しみながら、アンテナをピンピンはって歩く新平は、「そうなりたい」と思えるお年寄りでした。なんだかんだ頼りになる父親であり、夫であり・・・人生を達観したどっしりとした姿勢が多くの人を惹きつけるのでしょう。
決してすべてがうまくいっている人生でも家族でもなく、本書を通して何かが解決するわけでもない。でも全く悲観的ではなく、むしろユーモラスに描かれていて、なんだかすべてが「そのままでいいんだ」と思えるようでした。
本書の終わりには妻の介護をすることになる新平ですが、「老老介護」もなんのその、頼りにならない息子たちを恨むでもなく(唯一、次男の建二はなにかと頼れるのだけれど)、淡々とするべき仕事をこなし、日々を暮らす。色んな情報に振り回され、無駄に過去を思い返してはひとり落ち込み、さらに無駄にこれからのことを考えては心配事を増やし・・・そんな日々を過ごしていたら新平に「かっ」と笑われそうですね。読み終わるころには、新平(と建二)のことがぐっと好きになる。そんなお話でした。
続きもあるようなので気になります。
藤野千夜さん、初めて読みましたが、パキパキとした文章で、軽快に読み進められました。私のように、無駄に接続詞や指示代名詞を使っていないんだと読みながら気づきました。これから文章を書くとき気をつけようと思いました。
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やはり新平の清々しいほど達観したというか、前向きな姿勢に惹きつけられるのだと思います。子を持つ身としては、傍からみれば問題ばかりの息子たちに、何も期待していないその潔い態度は見習わないといけないと襟を正す思いがしました。「老老介護」で妻を介護するって言想像以上に簡単じゃないはず。それをひょうひょうとやってのけるところがシビれますね。続編も本当に楽しみです。
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