【読書感想】ここに物語が 梨木香歩

読書

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確か産後の休暇中だったからもう7年近く前だと思う。梨木さんのエッセイを読んで、衝撃を受けた。こんなにも世界のいろんなことに日々考えを巡らして、それを文章にしている人がいるんだと。そんなに卑下する必要はないのに、「私なんか何も考えてないな。ぼーと生きてるな。」となぜか落ち込んだ。あんなに衝撃的だったのに、そのエッセイがどれだったのか思い出せないところが、また甚だ悲しいのだけれど・・・。本書は、このことを強く思い出させたエッセイだった。梨木さんの思考のよりどころとなっているであろう本や物語について書いたものを集めたもの。別の媒体に掲載された短めのエッセイを集めたものという感じ。

本書で紹介されているものは知らないものばかりで、こういった読み物が梨木さんの精神的な血肉となり、作品に顕れてくるんだろうな~と、さらに梨木さんを雲の上の存在のように感じてしまった。

ガルシア・マルケスの「百年の孤独」は、梨木香歩さんの愛読書のひとつと知った時から「いつかは読もう」と思っていたけれど、今回ちょっと内容に触れて、無理、と思った(笑)素晴らしい作品なんだろうけど、読みきる自信がない。

本書では戦争のこと、アナグマのこと、チェルノブイリのこと、そしてコロナ禍についてなど、様々な資料からの梨木さんの思考が書かれているけれど、特に印象に残ったのは、「ハンセン病と自由について」。大変重要なことを知った、知って良かったと思った。

かつてハンセン病患者のための隔離施設があったことはおぼろげながら知っていた。そして、それが実は不要なものであったという事実もなんとなく・・・

しかし、恥ずかしながら、それらがナチスのゲットーなどと並ぶ「強制収容所」であったということは知らなかった。国立療養所長島愛生園の園長であった光田医師の業績は、本当のところは、そういうことだったのか。かなりの衝撃だった。そして、神谷美恵子は光田医師の熱心な信望者だったのか。「生きがいについて」を読んでいただけに、表面的なことしか知らなかったことに驚愕するとともに無知って怖いとひしひしと感じた。

そして、「自分で考える」ことの重要さをいまいちど考えた。

たとえ初めは知識が少なくて自分で考える自信がなくても考えないといけないんだと思う。右にならえ、上の人の言う通りに、ではダメなんだと。もし、それで間違っていたら、自分の考えを修正していけばいい。とにかく自分で考えること。頭を使うこと。個々が以前よりも重視される今、そうやって十人十色の考えがあれば、こんな強制収容所的なものや戦争のような間違いは起こらないんじゃないかと考えてしまう。安直に考えすぎだろうか。

でも、その思いに手を差し伸べてくれそうな、この章の終わりを、ちょっと長いけれど引用しておきたい。

「・・・私たちは確かに、一時的に激した感情に思考まで影響を受け、飲み込まれやすい傾向がある。自身で考えることを放棄するところから始まり、極端に奔れば自分の「激情」に後付けで論理の匂いのするものを与えていくーこれは恐るべき「短絡」であり、知性の「機能停止」状態ともいえる。この短絡は学歴や教養の多寡には関係ない。知性の代名詞のような人間にも、気を付けていなければ起こりうる。個を放棄して、一つに纏まりたい欲求を、他の民族より強く持っているのかもしれない。それが結局、自分たちの「自由」の首を絞めていくような結果になるということを、深く考えなければいけない時が来たのだと思う。

ほんとうに人間全体のため、そして個々の人間にとってそれが正しいことなのか、冷静に考え抜くことー評論家ではない、学者でも文学者でもない、私たちそれぞれが、いままさにそれをしなければいけない時代に生きているのだ」

少し難解に感じたところもあったけれど、思慮深いこのエッセイ集は、「自分の頭で考える」ことの大切さを再認識させてくれた。

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うり子
うり子

梨木香歩さんの作品は全作読むぞ、という勢いでおります!ちなみにこれまで読んだ中で好きなものは、「春になったら苺を摘みに」「村田エフェンディ滞土録」「西の魔女が死んだ」です。

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