【読書感想】Hマートで泣きながら ミシェル・ザウナー

読書

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タイトルがいいですね。
なんだか惹かれるタイトルです。

私はアメリカにも、韓国にも何の縁もありませんが、読みながら、Hマートで亡き母親を思い出して呆然としてしまったし、ユージーンの森の中で、母親との関係に息がつまったし、ソウルで祖母や叔母たちとの暮らしにワクワクしました。読みながら私はミシェル・ザウナーになっていました。
著者の中の半分の韓国人としての部分が、残りの半分であるはずのアメリカで、母国を懐かしむような郷愁を感じるとはこういうことなのか。母を亡くすというのはこういうことなのか。

読み始めは、なんというか、とりとめもなく、心の底から溢れ出てくる思い出や母親への想いをたらたらと書き綴っているように感じたのですが、なぜかすごく惹きつけられて、読み進めずにはいられませんでした。
読み進むにつれ、それこそ両親のなれそめから、幼少期のこと、ティーンの頃のこと、大学のために家を出てからのこと、そして、何より、母親の闘病のことを、よくぞここまでというくらいの剥き出し感情と出来事そのままを詳細に言葉にしてあって、著者の観察眼、文才の素晴らしさにとても感動しました。

文章を読むだけでは少し厳しすぎるように感じる母親から著者への愛情は、時にうまく伝わらなくても確実に著者に伝わったと、それだけで救われる思いがしたのは、自分も子どもを持つ母親になったからかもしれません。
それにしても、韓国の食文化のその豊かさを再認識させられた気がします。著者が母親を思い出すたびについて回ったのも、母親を失ったその喪失感を埋めたのも、母に教えてもらった韓国の味だったというそのことに、すっかり心奪われてしまいました。カウンセリングに行くことを断念して、キムチ作りなどに没頭することでだんだんと精神的な健全さを取り戻していく様子には、著者の行動力に感心しましたし、そう行動せざるを得なかった状況に思いをはせ、良い意味でしんみりとしてしまいました。韓国料理にそういった懐の深さがあることがなんとなくわかりました。
そしてそれは、韓国料理だけでなくきっと、日本料理にも、イタリア料理にも、トルコ料理にもある物語で、母親(時には父親かもしれませんが)が子に受け渡す食文化が、「生きること」「暮らすこと」「家族でいること」などの全ての土台になっているように感じ入って、しみじみとしてしまいました。

決して笑いながら読む本ではなかったのですが、思わず噴き出してしまったところがありました。母親の墓碑銘について、母親が好んで使った「ラブリー」を使って「ラブリー(素敵な)母・・・」というふうにしよう「ラヴィング(愛情あふれる)母・・・」はちょっと違う、と熱く語っておきながら、いざお墓に行ってみると「ラヴィング」になっていて、父親が「嘘だろ」とつぶやいた場面。え、こんなところで笑わせてくれるの?!と読んでる方としてはおかしかったのですが、笑うところじゃなかったのかもしれません。そこでプツっと段落が変わったので、そこをどう捉えたらいいか悩みました。(←真面目か)後日、ちゃんと修正されたことも書かれていました。

まだ若い著者ですが、まるで映画のような半生でした。
著者の父親もかなり過酷な人生を送ってきたようだし、亡くなった母親も妹さんを先に亡くしたり、そもそも母国を離れているわけだし、看護に来てくれた母親のケイも不思議な陰を感じる人だったし・・・。そして、旦那さんのピーターが素敵です。

実際、映画になるそうです。基本的には「映画より原作」と思ってしまう質ですが、ちょっとこれは気になります。

本書をどこで知ったのかすっかり忘れてしまいましたが、読んで良かったと思える本でした。

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うり子
うり子

なんというか直球の文章に出会った気がしました。感情も、闘病生活の過酷さも、韓国料理への想いも、全てが飾られずに綴られているけど、決して稚拙な文章ではなく・・・・うん、良い読書でした。


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