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またもや「名作」というものの力を見せつけられた気がする。
本はどれもそうだけれど、特に「名作」といわれるものは何度読んでも、その時々で違った視点や気づきを与えてくれる。
本書を読むのは二回目だと思う。一度目は確か、小学校高学年。学校の図書室で借りて読んだことをなぜかよく覚えている。その頃は「時間」という概念を深く考えることもなく、ただただ上質なファンタジーとして楽しんだ。
それからウン十年の時を経て、再読。今度は「時間」と「ほんとうの生活」について、再度考える機会をもらった。
理髪師フージーが現状の仕事や生活に対して抱く不満は、大人になったらかなり多くの人が考えることじゃないだろうか。「これは、「ほんとうの生活」じゃない。自分はもっと理想的な人生を送れるはず。今の状況がずっと続く人生なんてまっぴらだ。」
でも、「ほんとうの生活」って何?「時間」があればあるほどいいってわけでもない。本書にこんな言葉があった。
「時間とは生きるということ、そのものなのです。そして人のいのちは心を住みかとしているのです。」
限りある時間だからこそ、どんなふうに時間を使うのか、つまり、「どんなふうに生きるのか」が大事なんだと、そっと囁くように教えてくれる物語だった。
そんなことわかってはいるけれど、いつも、いつの間にか、せかせかとして、理髪師フージーのような考え方をしていなかったか・・・。
モモの親友が、物事をよく考えて発言するおじいさんベッポと、無鉄砲な若者ジジ、というのも素敵だった。特にベッポの仕事に対する考え方が好きだった。
「いちどに道路ぜんぶのことを考えてはいかん。つぎの一歩のことだけ、つぎのひと呼吸のことだけ、つぎのひと掃きのことだけを考えるんだ。ーするとたのしくなってくる。これがだいじなんだな、たのしければ、仕事がうまくはかどる。ーひょっと気がついたときには、一歩一歩すすんできた道路がぜんぶおわっとる。ー」
それから、時間どろぼうに時間を奪われ、せかせかしてきた大人に相手にされない子たちが、モモのいる円形劇場あとに来る時に持ってくるおもちゃについて、こんな記述があった。
「子どもたちがそんなものを使っても本当の遊びはできないようないろいろなおもちゃをもってくる」
なんて、なんて鋭い視点、感性・・・まさにそんなおもちゃに囲まれた今の子どもたち、わが子の姿が頭に浮かぶ。
「時間」のことをファンタジーとして描いた、どこか風刺的な物語だと思っていたけれど、それだけじゃなかった。児童書としての括りにとらわれず、いろんな年齢層の人にオススメです。
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あらためて「時間」って捉えがたい概念ですね。こんなにも難しい概念をファンタジーとして描き切ったところに脱帽です。エンデの他の作品も読んでみたいと思います。
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