【読書感想】流浪の月 凪良ゆう

読書

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私の本棚はこちら。良かったら寄って行ってください。

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凪良ゆうさんの作品を読むのは、「わたしの美しい庭」に続き2作品目で、この2作品を通して、印象としては「一般的」ではない人間関係を描く人。それに加えて、なかなかに「生きづらい」人たちを色々な意味で上手に描くなーと思った。

しかしながら、凪良ゆうさんの作品を読むと、「一般的」とか「普通」って何だろう。そんな枠組みに何の意味があるんだろうと思わされる。また、大なり小なり多くの人が何かしら「生きづらい」と感じているんだとも思える。だから、文や更紗がおかれた状況はかなり人生を「生きづらく」させるものだけれど、自分とは全然違う境遇なんだけど、なんとなく「自分には関係ない」と切り離せない気がするんじゃないだろうか。
文と更紗だけでなく、亮も「生きづらい」んだろうな、と思った。この三人の先を考えると、希望の光がとんでもなく小さいものに思えて、読んでいる途中は暗い深海を漂っているような気持ちになったが、救いようのないエンディングにならずにほっとした。

「事実と真実は違う」というのが、本書の大きなひとつのテーマなのだけど、あえて簡単な言葉で、「本当のことは当事者にしかわからない」ということだと私は解釈した。なぜ文が犯罪者となり、孝弘は犯罪者にならないのか・・・。それは、更紗が言葉できちんと説明できなかったから。たとえ、言葉にできたとしても、文を無罪にして、孝弘を犯罪者として引っ張り出すことが可能だったかどうかはわからないけれど、更紗が言葉にできなかったという事実により、彼らのその後が決定してしまった。口にすることもできない思い(恐怖)は、きっと本人にしかわからない。子どもであればなおさら。でも、言葉にしないと周りもわからない。周りもどうにも判断しようがないから、経験や偏見から事態を決定づけてしまう。本当のことは当事者にしかわからないのに。そして、間違った正義を振りかざしてしまう。すごく難しいと思った。言葉にならない、できないことの重みー。周りの正義が当事者にとっては、余計なお節介、いや、それ以上のものになってしまうことー。

カバーに凪良ゆうさんご本人の自筆で「文と更紗 ふたりが楽に生きられる世界であるようにと願って書きました。」とあった。本当、それ、と思った。

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うり子
うり子

私のレビュー、最後、一気に軽くなってしまったな💦

凪良さんの作品を読むと「普通」って何?とあらためて思います。

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