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再読。
スピンオフ作品「祝祭と予感」を読んだら、また本編を読みたくなった。わりと短いスパン(それでも前回読んだのは3年以上前だったけど)での小説の再読は私にとっては珍しいこと。
本当に私、再読なんだろうか、と思うほど楽しかった。むしろ今回の方が楽しかったかもしれない。前回はどうしてもコンクールの結果が気になって、読み急いでいたのかも。優勝は誰なのかを、常に頭で考え過ぎていたのかもしれない。今回は各コンテスタントの奏でる音楽の特徴を充分に堪能しながら読めたような気がする。恩田陸さんが言葉で表現する音楽が素晴らしくて、自分の中で各コンテスタントの音楽が鳴っている感じがとても心地よかった。
この物語は要所要所でなんとなく「対比」を感じる。
スターと天才、ピシっとしたマサルとヨレヨレの塵、成熟と早熟、才能溢れる音楽と庶民の音楽、拍手喝采と怒り、順応性とマイペース、穏やかでいてパッションを感じる、審査員も審査される・・・なんだかよくわからなくなってきたけど、こんな感じで、読んでいていつも対比を感じた。「音楽」というもの自体がそういうものかもしれないと思った。
多分、多くの読者がそうじゃないかと思うけど、コンテスタントの中に高島明石がいて、良かったと思う。生まれながらのスター・マサル、元天才少女・亜夜、巨匠の愛弟子・塵に対して、大変に地味だけど、すばらしい音楽を自分の中に持っている明石がもしこの物語の中にいなかったら、これほどおもしろい物語にはならなかっただろうと思う。明石は自分の音楽を「生活者の音楽」、そんなふうに表現していたような気がするけど、本来音楽ってそうよね、「天才」が奏でる音楽、高価な楽器で奏でる音楽、充実した施設で奏でる音楽だけが音楽じゃないよね、と思わせてくれる。(そういう意味では、自分のピアノを持たず、行く先々でピアノを弾く塵にも、そう思わせてくれるものがあるけれど。)
そんな「音楽」に甲乙つけるコンクールって不条理、と思いつつも、やはり価値あるものなんだ、とこの作品は教えてくれる。
私は好きな物語の実写化をあまり迎合しないし、読む前に配役を知ってしまった日にはちょっとガックリするのだけれど、この明石役の松坂桃李さんは、私の中でしっくりきて、明石だけはずっと脳内で松坂桃李さんというハッキリとしたビジョンで物語が展開した。この配役が明石に対する加点に大きく影響しているのかもしれない(笑)
自慢にも何にもならないけれど、私は耳が悪い。突然、ポンと鍵盤を弾かれて「これは何の音?」と言われたら、全部「ド」と答えると思う。つまり絶対音感がない。それだけでなく、聴いた曲を頭の中で再現することもほとんどできない。だから、「耳がいい」ということにすごく憧れがある。そんな私でも、子どもたちのピアノを聴いていると少しずつ、本当に「少し」だけど、「音」がわかるようになってきた。わかるようになるともっとピアノが面白くなってきた。私でさえそんなんだから、きっと「耳がいい」人にとってピアノは、本当に奥深い楽器なんだろうな、と思うと羨ましくてしょうがない。
そんな羨望もあって、大好きなこの小説。さっそく下巻に入ります!二次予選の途中から!
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音楽を表現する言葉の数々がすごいです。こんな風に音楽を言葉で表現できるとは!!と、圧巻です。
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