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「くちぶえ番長」に続く重松清作品。またまた職場のパートさん(もうすぐ60歳)が、「私たちの年代の方が合うかも。」と貸してくれた。どれどれ。
しっとり穏やかに、懐かしさ、哀しさ、寂しさ、辛さ、優しさ、色んな感情が胸を打つ。物語設定自体もそうなんだけれど、重松清さんの文章が、そうさせている気がする。重松清さんの文章は、礼儀正しく、柔らかい。そんなイメージ。
主人公は長谷川洋一郎、55歳。洋一郎には小学2年生で生き別れた父親がいて、長い時を経てその父親が亡くなったとの知らせが入る―。
洋一郎の幼い頃の父との思い出は、昭和のその時代を直接知らない私でも、懐かしさに胸がいっぱいになる。なんでだろう、やはり重松清マジックか。そんな父親との少ない思い出の描写もありつつ、洋一郎の今が少しずつ明らかになっていく。
洋一郎の友人で、一人息子を若くして亡くした友人「佐山」が洋一郎に相談にくる場面は、佐山とその奥さんの癒されない哀しみが、ただただもう苦しかった。誰が悪いわけでもないのに、と思うと人生とは苦行だと思ってしまう。
そして父親の死の知らせが入ってから、その父親と母親が離婚した後の洋一郎のこれまで人生が少しずつ分かってくるのだが、母の再婚、再婚相手とその子供についてなど知るうちに、洋一郎の複雑な半生がだんだんと見えてくる。ここらへんの構成もうまいなぁと思ってしまう。なんというか、徐々に情報がでてくるというか。ここ、という場面で必要な情報が出てくるというか・・・うまく言えないけど。
まぁ、なんて複雑。洋一郎は苦労をしているんだなぁ、としみじみとわかってくる。
父の死をきっかけに知り合う人たち(大家さんの川端久子、遺骨を預かってくれている和尚、父が通っていた地域の文庫の職員、田辺さん親子、そして父の友達だという神田さんなど)が、みんないい人で、その人たちが語る父親もいい人で、幼い頃に別れた父親と違いすぎて戸惑う洋一郎。何より、周りから「お父さん、お父さん」と呼ばれても全くピンとこない。洋一郎の中に父親が不在・・・という状況。
そんな中、勤め先の介護施設併設老人ホームに、面倒な人が入ってきて、その人の背中と覚えていないはずの父親の背中が重なるー
まだ半分だけど、「さすが重松清さん」と言い切りたい。誠実に真剣に人間に向き合ってその人生を観察し、丁寧に読者に伝えてくれている気がする。
下巻に続きます!
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重松清さんの文章を読んでいると、じんわりと心があたたかくなります。そして、なぜか無性に「懐かしい」という感情が湧いてきます。
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