※ネタバレを含みますのでご注意ください※
**********
あぁ、重かった・・・でも、とにかく、とりあえず、よかった。
私は年齢とともに重い話、暗い話、悲しい話を避けるようになってきたのだけれど、断れずに借りてしまったものは読まざるをえない。
そもそも林真理子さんにも苦手意識があったし、本当に読み始めるまで「はぁ、読み終わるかしら。ぶ厚いわぁ」とため息をつくくらいだったのに、読み出すと止まらなかった。
タイトルの「8050」は、若者の引きこもりが長期化した末に起こる、高齢の親と中年となった引きこもりの子どもとの親子関係の問題等を指す言葉であるようだが、本書はこうなることを恐れた父親の行動により、結果、「8050」が描かれる物語ではなかった。いじめ問題が描かれた小説だった。
「小説8050」ではなく「小説いじめ裁判」とでも言おうか。(←センスなし)
物語の初めでは、息子がなぜ中学二年生から7年間も引きこもっているのかわからない、どうしたらいいのかもうわからない、まさに八方塞がりで、読んでいても息が詰まるような苦しさがあった。それが、ついに暴力をふるった息子の「復讐してやる」という言葉をきっかけに、引きこもりの原因がいじめだったことがわかる。
父・正樹、母・節子、姉・由依、そして引きこもりの翔太。誰に対しても、「なんでそんなこと言っちゃうのよ」と悶々としつつも、そう、家族ってこんなもんだよね泥臭いよね、と妙に慰めたくなったりと感情が大きく動かされた。いじめの描写は読んでいて辛いとしか言いようがなかった。主犯格の金井のように冷酷な人間が、頭脳が優秀というだけで医者になれると思うと、そして現実にも金井のような人間がたくさんいるんだろうと想像するだけで、悔しくて悔しくてたまらなかった。
だから、たとえフィクションであろうと、「7年前のことでも裁判は可能」というのは、非常に大きな意味を持つものだと思った。現実としてはそううまくいかないのかもしれないけれど、いじめは単なる悪ふざけではなく、犯罪になり得て、裁判を起こせるものであるということを示してくれた。「子ども同士のいじめくらい」という時代ではないのだ。
いじめる立場の人間には「訴えられるよ」と言いたいし、いじめられる立場の人には「全力で逃げていいんだよ」と言いたい。そして、「後からでも戦えるよ」と。
しかし、生きることはなかなか大変で、悩み苦しむ子を前にして親がしてあげることに「正解」はないわけで、でも、翔太の言葉でわかったことは、親は子どもを信じてそばに居続けるしかないんだということ。
それにしても高井弁護士はかっこよかった。リーガルドラマの見すぎだと言われようと、やはり弁護士は弱者を救ってくれないと。
内容として、「8050」問題や引きこもり問題を期待していると「ん?ちょっと違うぞ」ということになりそうだけれど、この小説はこれとして、十分に読み応えのあるものだった。読んで良かった。
**********
何でも毛嫌いはいけないですね。読んでみたら、意外や意外、ページをめくる手がとまらない本もあれば、新しい世界をちらっと見てみた感覚の本もあるし、すごい時にはパァ目の前が明るくなった気がするときもある。読書は最高の学びであり、エンターテイメントだと思います。
コメント