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今、少しずつ須賀敦子全集を再読している。先月、全集1を読み終わって、第2巻はまたいつかと思いつつも、なんとなくこのまま私の周りに漂う須賀敦子の文章というか空気感というか、須賀敦子感を消したくないと思い、全集2の再読に突入。だいぶ時間がかかったが読み終えた。
ここに収められているのは以下。
・ヴェネツィアの宿
・トリエステの坂道
・エッセイ 1957~1992
全集1ではほとんど語られることのなかった、幼少期や戦中戦後の頃のことなど、日本を離れる前のことが淡々と語られ、その「淡々と」というのは戦争について声高に「大変だった」とかそういうことを言うのではなく、客観的に、出来事より人を中心に据えて実体験を語っている、そんな感じだった。その態度は、フランス留学での苦労や、夫の早逝についての文章にも表れている気がする。須賀敦子の幼少期の時代を知らないとはいえ、行間から漂ってくる雰囲気としては、やはり須賀敦子は決して庶民とは言えない裕福な家庭の出、ということ。その裕福さは、あの時代に長期間洋行したという須賀の父親にも表れている。須賀敦子はその父親にかなりの影響を受けていると思うのだが、その父親に反発していたことや、父親にふたつの家庭があったという事実には、「おぉ」というちょっとした驚きと、好奇心と、「著名人の人生っぽいな」という軽薄な感想を抱いてしまった。
その後には、亡き夫ペッピーノに関わる人がたくさん出てくる。その中でも、結果的にペッピーノより長くつきあうこととなる義母や義弟アルドは頻繁に登場する。全集1が「コルシア書店の仲間たち」が主だったのに比べると、この全集2ではイタリアで親戚となった人たちの話が多く、ペッピーノと義弟アルドの従姉妹の話など、まるで須賀敦子自身が従姉妹だったかのように、というか須賀敦子自身が彼女たちの人生をそばで見てきたかのように描かれており、そこまで深い親戚づきあいをしていたのかという驚きと、いやいやこれは半分くらい須賀敦子の想像で書かれたんじゃないかとの疑惑のふたつの思いが行き来した。それほど、須賀敦子がつづる彼ら(彼女ら)の半生は読んでいるこちらに迫ってくるように時代や地理的、文化的にとてもリアリティーをもって感じられた。夫となり先立ってしまったペッピーノ家族の貧しさや、家族を暗く覆う決して少なくない数の「死」に、日本ではおそらく裕福な家庭に生まれ育った須賀敦子がどのように対応していったのか。ペッピーノとその家族について、帰国後にこのような文章をすることで、やっと対応できたところもあったのではないかと思った。
全集1のレビューでも書いたような気がするが、須賀敦子がこれほどまでにペッピーノの家族、親戚のみならずイタリアの友人知人に受け入れられ、深い付き合いをしたのは時代によるものか、須賀の人格によるものか。もちろん全てが絡み合ってのことだとは思うが、やはりその語学的才能なしにはあり得なかったのではないかと思う。イタリア語、英語、フランス語に秀で、イタリア語と日本語においては双方向の翻訳ができ、書籍として出版できるほどの能力。類まれなこの才能を再度見せつけられた気がした。
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読者としては、須賀敦子の歩みのようなものがわかって嬉しい第2巻です。上品で美しい日本語にばかりに目が行って前回は気づいていなかった、須賀敦子の強い意志や、人や事物に対する鋭い批評も今回は読み取れた気がします。
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