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いつか読もう読もうと思いつつも、内容が内容だけに、覚悟して読まないといけないと思っていたら、本屋大賞受賞からけっこうな時が流れてしまいました。
同僚が貸してくれて、読む時が来たのだと覚悟して読み始めたら・・・
止まりませんでした。ありとあらゆる空き時間、隙間時間を使って一気に読みました。引き込み方がうまい。
でも、それより、物語として、なんか、こう、圧倒的でした。
貴瑚が受けてきた虐待、少年が受けている虐待、その他にも暴力が振るわれる場面は確かに辛いです。心拍数があがり、哀しみ怒り苦しさ、ありとあらゆる負の感情が溢れて苦しくなります。たくさん辛い場面がありましたが、私が一番辛かったのは、貴瑚の母親への想いでした。あんなにひどい母親なんだから、憎んだらいいのに、と部外者の私は思います。鬼のような母親なのに、貴瑚は母親を心から憎むことはできず、「愛してほしかった、愛されたかった」と言います。ここに児童虐待の難しさがあると思いました。だから、少し話は逸れますが、少年が母親に執着しなかったことに、少し気が楽になりました。ただし、それほどまでに感情を失っていたとも言えるかもしれませんが。と、やはり、読み進めるのは辛かったです。でも、でも、希望がある物語なんです。
52ヘルツのくじらとは、他の仲間のクジラには聞こえない高さの音を発する孤独なくじらのことだそうです。誰にも届かない声を上げ続けている子どもがどれだけ現実にいるのだろうかと思うと、何もできない自分が悔しくて、苦しくて、どうしようもない衝動に駆られます。
物語の中では、そんな貴瑚の声をアンさんが、美晴が拾い上げてくれ、貴瑚は少年の声を聞き取ります。52ヘルツの声を上げているのは、貴瑚だけでなく、アンさんもだったんだということが、取り返しのつかないことになってわかった貴瑚は、罪滅ぼしのように少年を救います。罪滅ぼしでもなんだっていい、少年の声を貴瑚が聞きとって、少年をひとりにしない。そのことが、どんなに大変で重要で貴重なことか。初めはアンさんへの贖罪のように感じていた貴瑚も、だんだんとその気持ちが薄れていき、少年のために動くようになります。
アンさんが貴瑚を救い出したこと、貴瑚が少年を救い出そうとしていることは、本当に本当に大きなことでいち読者の私からも「ありがとう!」と感謝したいことなのだけれど、それと同時に、この物語には他にも52ヘルツの声を聞き取ってくれる人がいて、そのことに深く深く感動しました。
それは、たとえば、少年が母親と暮らす前に一緒に暮らしていた祖母と伯母と近所のおばちゃん。愛情を注いでくれた祖母と伯母は亡くなっていて、絶望しかけるけれど、少年を「いっちゃん」と呼び、忘れないでいてくれた近所のおばちゃん。それから、貴瑚には、美晴とその彼氏の匠も頼もしい存在で、貴瑚の母親に啖呵を切ってくれたそうです。束の間一緒に暮らし、貴瑚と少年を支えてくれた美晴が、少年が「ミハル」と呼んだことで泣いた、という描写で私は号泣しました。
何かと貴瑚を気にかけてくれる村中とその祖母の協力を得て、どうにか少年が頼れそうな親類が見つかります。貴瑚と少年がともに暮らす、つまり貴瑚が少年の保護者になるということが、現実的にいかに難しいかを、厳しく指摘し、少年は自分たちが受け入れると理論的に説明してくれるのは、少年の母方の祖母でした。複雑な環境ゆえに、少年のことを初めて知った祖母は、堂々たる姿勢で少年を受け容れようとしてくれます。祖母の再婚相手は、少年と貴瑚に対して、未来の最善策を提案してくれます。このあたり、現実的なことがきちんと書かれていてとても素晴らしかったです。感情的に泣ける場面のあと、この冷静なやりとりが、この物語を完結させるようでした。
現実で、虐待のニュースが一番辛いです。どんなにひどい親でも、親に頼るしかない小さな存在が、52ヘルツの声をあげているのに、何もできないことが辛くてしょうがないです。だから、知るしかない。いろんなことを知っていくしかない。そして、社会で、みんなで、その小さな声を拾い上げていくしかない。そんなことのためにも、本書がたくさんの人に読まれるといいな、と思います。読む前の私のように、「重くて読めない」と周りの人も言いますが、「希望があるから、読んでみて!」と言いたいです。
圧倒的な作品でした。読んでよかった。
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こういう類の本が本屋大賞に輝いたということが、今さらですが、素晴らしいことだと思いました。著者の素晴らしい筆力や物語の作り込み方は言うまでもないのでしょうが、なんというか時代が、世間が、こういう話題にも敏感になってきているんだと思いました。個人的な「2024年上半期ベスト3」入りです。
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