【読書感想】エンジェル・エンジェル・エンジェル 梨木香歩

読書

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Wikipediaに「単行本と文庫版では内容と結末が大きく異なる。」とあり、それは大変困ると思って、文庫版を購入して読んだ後、少し経って単行本を図書館で借りて読んでみると、もっと困ったことに私の記憶力が悪すぎて、大きな違いがわからなかった・・・情けない。ということで、バーッとつきあわせてみることに。大きな違いは二つだと思います(正しいか不安)。

このお話は、コウコの今と、おばあちゃん「さわちゃん」の昔の話が交互に描かれる構成になっています。おばあちゃんの昔の話のところで、単行本は普通に書かれていますが、文庫版では旧字体というのでしょうか、漢字も少し違い、かなも昔のような使われ方で書かれています。例えば、小さい「つ」を大きい「つ」で表記していたり、「思う」が「思ふ」であったり。この効果は、二つの話を行き来するという意味で、すごく効果的だと思いました。
コウコは、自分の中にある「いびつな精神」と表現されている、天使のような側面と残虐な側面を、熱帯魚の水槽の中に無意識に投影していて、その水槽のモーター音がおばあちゃんの昔の後悔を呼び起こすというように展開していく物語でした。
天使のようなおばあちゃんにも、幼かった昔に「悪魔に魂を引き渡した」というほど後悔することがあり、その思いがずっと消えなかったようです。介護が必要となり、ほとんどの時間をうとうとと過ごしているおばあちゃんですが、モーター音で覚醒してからは、時折、コウコにだけ、突然はっきりと話しだします。コウコがおばあちゃんが仲良くなりたかった「コウちゃん」と同じ呼び名であることに気づいたとき、おばあちゃんの後悔が少しずつわかってきます。
そのおばあちゃんの後悔は、誰しもが持っているであろうという程度の意地悪な心からくるものでした。それでもおばあちゃんはその意地悪をしてしまった相手である「コウちゃん」や、素直になれなかった相手のツネに対して、ずっとずっと後悔と謝罪の気持ちを持ち合わせていたのでしょう。コウコが水槽の中の悪魔と思われたエンジェルフィッシュをかわいそうだと思い、許そうという気持ちになった時に、おばあちゃんは泣きながら謝り、数日後に息を引き取ります。おばあちゃんの贖罪が終わり、心のつかえがとれたのでしょうか。
最後に「ねぇ、さわちゃん」とコウコがよびかける文章が文庫版からはごっそり削除されていました。それが単行本と文庫版の違いの二つ目だと思います。どんな意図があって変更されたのでしょうか。

誰もがもっているであろう残虐な一面に対する、その人自身の後悔の念だとか、贖罪の気持ちなどを、鋭くそして優しく表現した作品のように思いました。
確かにさわちゃんはコウちゃんに意地悪をした。でもそれをこんなにも・・・と思うと、さわちゃんのエンジェル様のような一面がよくわかるなぁ、と思いました。

※単行本と文庫版の違いについて、「内容と結末が大きく異なる。」というほどのものではない気がするのですが、また何か私が重要なことに気づいていないだけなのでしょうか。詳しい方がいたら教えてほしいです。

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うり子
うり子

恥ずかしいですが、正直言って本書のようななんというか人間の内面深いところのお話というのは、最近になってやっと理解できるようになってきたというか、ある種の共感を持てるようになったというか・・・どれだけ人間が浅かったのかと思うと情けないですが、この歳になってやっとか、と思ったしだいです。

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