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2007年から2009年にかけて雑誌「ミセス」で連載されていたものをまとめたエッセイ集。
身の回りの色々な物事をご自身の感覚で観察され、それを何かにつなげて深く考えておられる姿勢に驚嘆と尊敬しかありませんが、これは梨木香歩さんのエッセイを読むたびに感じることです。
梨木香歩さんの作品としてはたぶん一、二を争うくらい有名で、私も大好きな「西の魔女が死んだ」についての記述もあり、その中で「西」が象徴するものが何だったか示されており、「そうだったのか」とすごく腑に落ちるものがありました。というか、それ以前に、「西」について全く考えを巡らせなかった自分に呆れました。
これまた大好きな「春になったら苺を摘みに」のウエスト婦人も出てきて、なんだか昔からの知り合いを偶然見かけたようにうれしくなりました。
どのエッセイも一見つながらないようなことが、梨木香歩さんの思考の末にゆるやかにつながって着地していきます。あぁ、梨木香歩の目と心を通してみたら、物事はこんなふうにつながるんだと、ひとつひとつのエッセイを読み終わるたび、自分の心もふわっと着地するかのようでした。
と、ここまで書いて、「ゆるやかにつながる」というタイトルのエッセイが良かったなーと思い出しました。”人間も群れで生きるものであるから、ある程度の倫理や道徳は必要だが、同時にその人自身の魂を生かすものであって欲しい。ちょっとぐらい自分たちと違うところがあるからといって、目くじらたてて「みんなはこうだ」と詰め寄り、排斥にかかることがないように”、と書かれていました。あぁ、なんて的確に、そして誰を責めるでもない優しい文章で、すごく大事なことを指摘してくれているんだろうと思いました。コロナ禍でよく聞かれた「同調圧力」や教育現場での「全員同じに右向け右」的なものに息苦しさを覚えることもあり、そのモヤモヤを愚痴のようにしか表現できない自分との格差を感じるエッセイでした。
また、ところどころ私も好意をもって尊敬している方たちが出てきてうれしかったです。
江戸風俗評論家の杉浦日向子さん(そんなに詳しくないのですが、昔テレビでお見掛けして、すごく素敵な方だと思っていたので、これを機に少し杉浦さんについて知りたいです。若くしてお亡くなりになったことに今更ながら再び驚きと悲しみがこみ上げてきました)や、大好きなエッセイ「日日是好日」の森下典子さん、「私の部屋のポプリ」の熊井明子など。
梨木香歩さんもこの方好きなんだな、と、少しは同じ感性を持っているのかも、と内心小躍りするくらいうれしかったです。
「梨木香歩作品を全て読む」はまだまだ続きます。
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読めば読むほど梨木香歩さんの作品というか、自身の人となりというか、その思考の深さに、圧倒され、ついていけない、と思うながら惹かれてしまう作家さんです。今すでに次の作品を読んでいるところですが、これまた圧倒され、「読めない」自分が情けないやら悔しいやら。
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