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うわぁ・・・(まだまだわかっていないことがたくさんあるけど)そういうことかぁ。と、こうなんというかラストスパートでこれまでの緊張がふわっと解けるような読後感でした。
どうしてもネタバレしないと書き続けられそうにないので、未読の方はここから注意です。
主人公の名は後半になって判明しますが、佐田豊彦さんといいます。(確かまだ未読ですが、「椿宿の辺りに」の主人公の曾祖父にあたるそうです。)
豊彦さん、歯が痛いから歯医者に行くというところから物語が始まりますが、行った歯科医の奥さんが前世で犬だったため、忙しくなってなりふり構わなくなると犬になってしまうなどと、初めから妖しい空気感が漂います。風雨の中訪れた温かな光がともるスターレストランもなんだか不思議な雰囲気。そこで見た親子は何だったんだろう・・・下宿先の大家はふと気づくと、雌鶏の頭をしているように見えるし、思わぬところで思わぬ人(歯科医の奥さんだったり、スターレストランの給仕係だったり)に会い、思いもかけない言葉を投げかけられる。あげくに、豊彦さんはずっと女性ものの靴で歩いていたという衝撃の事実を大家さんに指摘される・・・今がいつで、どこにいるのか。読書はもちろんのこと、豊彦さん自身もよくわからなくなってくるけれど、とにかく仕事(豊彦さんはf植物園の園丁をしている)に行かなければならないし、歯の治療にも行かなくてはならない。その合間合間に豊彦さんの過去がわかってくる。千代という名のねえやについての思い出が不思議と鮮明なようで不鮮明。何かがおかしい。
そこで、豊彦さんはふと思い出す。大木のうろをのぞき込んで落ちた後、そこから出た記憶がない、と。
はーん、そういうこと。と少し納得がいくものの、不思議な世界は続く。ナマズ神主や烏帽子をかぶった鯉が出てきたり、また過去の記憶がよみがえり、大叔母が語ってくれたアイルランドの治水神を思い出したり。そして坊に会う。坊との行動はまるで冒険のようでもある。そこで、過去のトラウマからか、ねえやの千代に関する記憶が改変されていたことに気づく。まるでそのことに関する心の傷を隠していたものを取り去ったかのように、豊彦さんは過去の出来事をやっと事実として受け入れた(ように、私には思えました)。坊が行ってしまって、目が覚めた豊彦さんは、不思議な世界では亡き者となっていた妻が、うろに落ちてから意識がなかった自分を看病してくれていたことに気づく。
「あの子に会った」というだけで妻には通じた、というところにまたこの夫婦が抱いてきた大きな喪失が表れています。
豊彦さんが現実に戻ってすぐに物語は幕を閉じます。
不思議な世界でのあれは何を表していたのか、と考え始めるとまだまだ読み込みが足りないと思わされます。この物語は、たぶん複数回読むべきなんだろうと思いました。
この心地の良い不安定感は、たくさんの人が感想に書かれているように、「家守綺譚」に通じるものがありますし、和製「不思議の国のアリス」というのも、なるほどうまい表現だなと思います。
「海うそ」を読んだ後だからか、「喪失」の描き方が非常にうまい、さすが梨木香歩さんだと思いました。
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なんとも摩訶不思議な世界で、古風な主人公の言葉遣いや多彩な植物描写は梨木香歩さんならではの作品、といえるものでした。
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