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角田光代さんはうまいな~。本当にそう思いました。
実際のところ、私はそんなに角田光代ファンではなく、積極的に角田作品を読むわけでもないし、読んでも、特に小説だと「この作品好き、また読もう」とはならないのですが、「うまいな~」と思わされる作家さんです。
本書は、意図せず同僚から貸してもらったのですが、「八日目の蝉」を読んだときを思い出すように、物語に惹き込まれました。読んでいて楽しいわけでもなく、すごく悲しいとか絶望感があるとか、それこそ感動する、というような大きな感情の動きは起こらないのに、読むのをやめられない。淡々とした語り口なのに、まぁ惹き込まれる。
梅澤夫妻の嚙み合わない感じとか、経験したはずもないのに、妙にわかるというか、これは修復の難しいタイプの夫婦関係だとか、そもそも価値観が違いすぎるんじゃないか、とか思いながら、ふと梅澤梨花は本当に普通のどこにでもいる主婦だったんだと思いつく。そんな人がどうしてあんなに大きな事件を起こし、身を転落させることになるのか、それが淡々と無理なく書かれているため、こんなことは誰にでも、まさに自分にも起こりうることなんじゃないかと思い当たって、いやいやまさかそんな、と頭を振ることになる。普通に見えた梅澤梨花だけどきっと理性で行動できないようなどこかひとつネジが緩んでいたところがあるんだ、または、育った環境に問題があったんだ、そうじゃないと普通の人はこんなことにはならないと必死で思おうとする。そこで、はたと考える。「普通の人」って何よ、どんな人よ、と。
ひとつのポイントは「お金」か。一歩踏み外してしまうとどこまでも痛みを感じなくなるのは「お金」のせいか。「お金」を前にした人間の弱さを痛いほど感じる。それは、梨花以外の登場人物からもわかる。これって、そういう時代、つまりバブルで世の中が浮かれていたからあり得ることで、どちらかというとその後の経済が落ち込む時代に成長した私には、梨花や亜紀の散財の仕方がどうもわからない。そういう意味では自分の価値観に安堵する。
しかしながら、お金だけでもない気がする。この梅澤梨花はどうも自分を初めから見失っている。カード会社にいる自分は自分の一部であって、本当の自分ではない、正文の妻である自分は自分の一部にすぎず、本当の自分ではない。理想の自分を見つけようともがいた結果がこの転落だとしたら、やはり、人間の弱さを感じずにはいられない。
本当にドンドン苦しくなるお話でした。男に貢ぐためだけに横領したわけではない。おそらく光太はきっかけにすぎず、夫の単身赴任もきっかけにすぎず、自分がいつでも自分でない気がする梨花には何でもきっかけになったのではないか。最後に梨花はやっと理解する。全てが「自分」なんだと。
自分探しをしている果てに他人のお金を使い込んだ、なんてひとことでいうとなんて陳腐なんだ。でもこの物語は決して陳腐ではない。
自分の軸をしっかり持とう、と思いました。
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4月に入り、すけちゃんが小学校に通うようになったり、私自身の勤務時間が変更になったり、それに合わせて習い事も調整したりと生活リズムが変化し、だいぶ疲れているここ数日です。週末はブログをアップする予定がそれさえも滞ってしまいがちに・・・読書時間も減ってしまいました・・・読書もブログアップも少しペースが落ちますが、細々と続けていきたいです。
さて、この「紙の月」は少し前に読み終わっていたものです。自分のレビューを読み返してみて、本当に弾き込まれたなぁと思い出しました。読書に没頭したい人、ちょっとした事件モノを読みたい人におススメです。
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